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3月14日と言えば…4

すでに日付も過ぎてしまっていますが(笑)
しつこく続けますちゅー

お土産屋さん(小泉義士堂さん)のあとは、例の小道を進んで行き、旧細川邸跡へ向かいました。

初めて行った時は「え?こっちでいいのか?」「こんな細い道で大丈夫?」とずっと心配しながらの道のりでしたが、三度目ともなると余裕ですにやり

初めての時は木々が青々と茂っていて、二度目は色づいた落ち葉が綺麗でしたが、今回は寒々しい感じでした。(実際、気温も低かった)

前日、前々日は、暑いくらいの陽気だったのに、冬に逆戻りしてしまったかのような寒さうわーん

午前中にかなり降っていた雨が、あがってくれたのは幸いでした。

こういう時、だいたい自分に都合いいように「浄化の雨だね(´・∀・)b」とかよく言ってます(笑)

「普段のおこないがいいから、途中から晴れた!」って言うと、「そういう時は最初から晴れてるんじゃないの?」と言われるので(*´゜艸゜)∴

さらに、「雨のお陰で花粉もいくらかやわらいだ感じだったよ」とことりちゃんも言ってました(*^-^*)

なので、雨も結果オーライなのです( ≧▽≦)b

…今日はPCで書き込んでいるので、余分なことまで書いてしまいました。

さて。
駅までの道すがら、旧細川邸内にあった“スダジイ”(であってたっけ?)も見つつ、駅のそばにあったお店で食事。

思いのほか空腹だったことに気づきました(笑)

次の目的地は、新橋にある「新正堂」さん。
去年の初夏に赤穂浪士ゆかりの地をあちこち巡る際、ことりちゃんがネットで見つけてくれた、“旧田村邸の敷地内”にあるお店です。

初めてお邪魔したときの、ひとさわぎ(笑)で、とても感じのよい店主さんと知り、泉岳寺に行ったら、次は新橋!と、もう当たり前のコースになりました。

赤穂浪士について、史実・ドラマまじえてお話しさせていただき、「年の瀬や水の流れと人の身は」「あしたまたるる この宝船!」 ワー(≧▽≦)
みたいなやりとりがあって(笑)とても楽しかったのでした(*´゜艸゜)∴
(憶えてるのは自分だけだと思うけどwww)

今回も、我々がお店に到着して中に入ろうとしていた時に、ちょうど外出先から戻られたところで、お店の軒先でいろいろ立ち話をさせていただきました(笑)
ほんとにいろいろすごい情報wもお聞きしてしまいました。

購入したものは…
義士ようかん五個と切腹最中。
私はつぶあんが苦手なので、切腹最中は家族へのお土産ですにこ

義士ようかん、今回はちゃんとメモを持って行ったから、ダブりなく買えたよ( ≧▽≦)b
あ、メモ忘れても大丈夫なように、今度ブログに書いておこう(笑)
17/47だって。

まだあと30個もあるよ(*´゜艸゜)∴
でも少しずつ揃えていきたいので、気長に通います(*^-^*)

で!

ここでやっと、浅野内匠頭長矩終焉之地です!

フライングして前に写真だけ貼っちゃったけど(笑)

↓せっかくなので、もう一度貼っておきます(・∀・)↓
浅野内匠頭長矩終焉之地の石碑 2013年3月14日現在の様子

というわけで、終了ー(^-^ゞ

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3月14日と言えば…のつづき

“笛”の話しのつづき(笑)

持ち主の位の高い順に並べてあったような感じでした。

一番下にあった笛を見て「穴4つだけじゃ、あんまりいろんな音出ないんじゃない?」という話しになったのだけど、「でもそういえばトランペットも3つしか押すとこないけど、組み合わせや唇の使い方でいろんな音が出せるよ」ということになり、結果、4つしか穴のない笛は、むしろ上手い人が吹いてたんじゃないか?という結論を勝手に出して納得したのでした(笑)

あーもうキリがなくなってきた(笑)

肝心の浅野内匠頭終焉の地の話題まで、まだまだだよ(*´゜艸゜)∴

早く“石碑が戻っていたこと”を書きたいのに(≧∇≦)

あれ、いつ戻ってたんだろう?
パネルでは見ていたけど、あんなに大きくて立派な石碑だったんだねぇ(=^∀^=)

去年(2012)の12月14日、あの近く(新正堂さん)までは行ったのだけど、きっとまだパネルwしかないと思って、切腹の場所までは行かなかったんだよね(゜_゜;)

とにかく、戻っていて嬉しかった(//▽//)

もう先に写真だけ貼っておくよ!(笑)

浅野内匠頭終焉之地の石碑

浅野内匠頭終焉の地の石碑2 2013年3月14日現在、移動されていた石碑が元の位置に戻っていました!

浅野内匠頭終焉の地の石碑3

↑とりあえず気が済んだのでw、話題はまた泉岳寺に戻します(⌒∇⌒)ゞ

あー、あの資料館の“すごい方の図録”w欲しいなぁ。
ことりちゃんが持ってて、見せてもらったことがあるのだけど、展示されていないもの(入れ替えで展示してる?)の写真も載ってるんだよね。
そういうのを見たいし、さらに今までに三カ所の資料館を見ていて、“どこに何があったっけ”ということがあやふやになってきちゃって(A^_^;)

覚えているのだけでも書いてみよう…
大高(高は梯子段の高)源五の写経←浅野内匠頭の一周忌の時におさめたもの

赤穂には確か原惣右衛門とあーもうひとり誰だっけ?(+_+)
が、内匠頭のお父さんの一周忌におさめた写経があったんだよなー。
もう、せっかくメモ用にノート持って行ったのに、結局何も書いてないよ(笑)

その近くに、小野寺十内(だったっけー?w)の硯箱←すてき彫刻があしらわれていた。あと箱の内側になんか書いてあった。

あぐり(のちの瑤泉院)の箸←小さくて可愛らしい

内蔵助の茶筒

礒貝の呼子笛←なにかで編まれたものに包まれている

その展示物の上の方に、江戸での潜伏場所その他ゆかりの地が印されたものが貼られているのだけど、吉良邸のすぐ近くに堀部親子の名前(別々の場所)を見つけて、「さすが急進派だよ(*´゜艸゜)∴」と爆笑(笑)

つづく(まだ/笑)

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