“笛”の話しのつづき(笑)
持ち主の位の高い順に並べてあったような感じでした。
一番下にあった笛を見て「穴4つだけじゃ、あんまりいろんな音出ないんじゃない?」という話しになったのだけど、「でもそういえばトランペットも3つしか押すとこないけど、組み合わせや唇の使い方でいろんな音が出せるよ」ということになり、結果、4つしか穴のない笛は、むしろ上手い人が吹いてたんじゃないか?という結論を勝手に出して納得したのでした(笑)
あーもうキリがなくなってきた(笑)
肝心の浅野内匠頭終焉の地の話題まで、まだまだだよ(*´゜艸゜)∴
早く“石碑が戻っていたこと”を書きたいのに(≧∇≦)
あれ、いつ戻ってたんだろう?
パネルでは見ていたけど、あんなに大きくて立派な石碑だったんだねぇ(=^∀^=)
去年(2012)の12月14日、あの近く(新正堂さん)までは行ったのだけど、きっとまだパネルwしかないと思って、切腹の場所までは行かなかったんだよね(゜_゜;)
とにかく、戻っていて嬉しかった(//▽//)
もう先に写真だけ貼っておくよ!(笑)
↑とりあえず気が済んだのでw、話題はまた泉岳寺に戻します(⌒∇⌒)ゞ
あー、あの資料館の“すごい方の図録”w欲しいなぁ。
ことりちゃんが持ってて、見せてもらったことがあるのだけど、展示されていないもの(入れ替えで展示してる?)の写真も載ってるんだよね。
そういうのを見たいし、さらに今までに三カ所の資料館を見ていて、“どこに何があったっけ”ということがあやふやになってきちゃって(A^_^;)
覚えているのだけでも書いてみよう…
大高(高は梯子段の高)源五の写経←浅野内匠頭の一周忌の時におさめたもの
赤穂には確か原惣右衛門とあーもうひとり誰だっけ?(+_+)
が、内匠頭のお父さんの一周忌におさめた写経があったんだよなー。
もう、せっかくメモ用にノート持って行ったのに、結局何も書いてないよ(笑)
その近くに、小野寺十内(だったっけー?w)の硯箱←すてき彫刻があしらわれていた。あと箱の内側になんか書いてあった。
あぐり(のちの瑤泉院)の箸←小さくて可愛らしい
内蔵助の茶筒
礒貝の呼子笛←なにかで編まれたものに包まれている
その展示物の上の方に、江戸での潜伏場所その他ゆかりの地が印されたものが貼られているのだけど、吉良邸のすぐ近くに堀部親子の名前(別々の場所)を見つけて、「さすが急進派だよ(*´゜艸゜)∴」と爆笑(笑)
つづく(まだ/笑)
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